
先日の「女神」つながり(笑)
女神で思い返したこと。。。。
ま、生きていたら
いろんな人間関係に悩まされます
特に、家族や親戚関係はムズカシくて厄介です
たとえば、誰かに相談して
「こうすればいいよ〜」って言われても
間違いなく簡単には納得できない。
正解が解ってても、素直に受け入れられなかったり
ヘタすりゃ逆ギレ(笑)
たぶん、その育った環境、育った家族じゃないと理解できない
「想い」があるからだと思うんだよね。
前に、高良健吾くんのインタビューで聞いたこと
更に、最近のTVドラマ「名前をなくした女神」で出てきたセリフで
「実家は居心地がいいところじゃない」
「実家は居心地が悪いところ」
すごく印象的で
私もそうなんだよな〜ってかなり同感した。
でも、居心地がいいと思う人たちもたくさんいると思う。
この感覚が、まさに、
育った環境、育った家庭
生きてきた過程の違いで生まれる
決定的な感覚の差。
さらに言うなれば、
私は一人っ子。
だから、間違いなく、兄弟の関係性やその感覚は全く理解できない。
同じ両親から生まれ、同じ家庭で育ち、年齢が近い。
想像すらつかないのが私にとってのリアル。
だって、その感覚はどうやったって解んない。
経験してないからしょうかないのかもね。
たとえ同じような境遇だったとしても
間違いなく感覚は違うハズ。
だから、人の気持ちや人の想いは
「理想論」や「私論」なら語れるってのが
妥当なニュアンスなのかもしれないね。
これが人の限界なのかもしれない。
だから宗教があるのか?という私なりの見解(笑)。
その時、その場の人生の選択や岐路。
もし、そこに家族や親戚が絡むと厄介。
だって、自分のことだけでも精一杯だもんね。
無条件に強いられる人もいれば
自分から選択しなくちゃいけない人もいる。
人に相談して、その通りにしてよかった人もいれば
その通りにして後悔してる人もいる。
助けたい人がいる。
でも、そうすることによって自己犠牲が必要だったりもする。
だけど
その人の為と思ってすることは
その人の為あらずだったりする
生きていくことは、常に選択の連鎖。
自分の人生だからこそ
最終的に「後悔しない方」を選択すればいいと思う。
そうやって、選ぶことができるならね。
自己犠牲だって、それで後悔しないならそうすればいい。
そうするしかないなら、そうするしかない。
だって、時間は待ってくれないもの。
その後からを楽しめるように
その後からを充実させていけるように
そうなれればいい
最終的に幸せを決めるのは自分自身の価値観。
どうやったって、
人は後悔する生き物。
どこかで何かでつまずく生き物。
誰から何を言われようとも
自分がそれでいいと思えることが一番大切なのかもね。
葛藤と戦ってて簡単には思えないけど
そう思えるように、そうなっていければいい。
自我から無我に覚醒することは自己否定。
それは一切の否定であり絶対無。
すなわち、生活や命の否定。
そうじゃない無我
それは自覚のある無我。
自覚のある無我で
決然と生きていけるようになりたい。
だけど、それは本来の私の考えじゃない。
だけど、そう思うことも、また本来の私。
どれだけ充実した日々を過ごせたか。
どれだけ幸せだっかた。
死ぬ前に評価するのは自分。
何を成し遂げたか
何をしてあげられたか
評価するのはその他大勢
何をしてあげたかなんて思うぐらいなら
それはただの自己満足
とはいえ、
何を考えても
何を思っても
何を知っても
答えはたくさんあって
迷いは拭えないね
寂滅為楽
ま、煩悩の塊の私がいう
キレイ事のことですかな(笑)